ポジティブに巻かれる。
9/11@三軒茶屋シアタートラム。「時々自動」の『music no music』を観てきた。
自分はこの催しはもちろん、浅学にしてこの団体が何をする団体なのかも知らなかったのだが、拙作『新しい人』に出演してくれたagが教えてくれた。というかagが「出演している」というので、それはきっと演劇で、「時々自動」はいつもは手動なのか、じゃなくて、時々自動さんたちは劇団なのだろうと思って、ろくに予備知識も入れず出かけたのである。
総じての感想から述べさせてもらうと、これがもんのすげー気に入ったのであり、あの星空より甘いチョコよりもダイスキなのであって、終わってもしばらくのあいだニヤニヤしていて気味悪がられたほどなのだった。
『music no music』は演劇というより「パフォーマンス」と言ったほうが通りがいいかも知れない。
会場に入ると一切の客席がなく、じゃあ床に座るのかといえばそうでもない。床は黒く塗られた板で覆われ、センサーのようなものが点在している。これを踏むとどこからかSEが鳴るという仕掛けで、何かのインスタレーションのような感じ。いくつかお立ち台のようなものが据えられ、そのフロアとステージはスロープで繋がれている。ここでなんとなく漂いながら観ろということなのだろうか。
フロアには既に客が、どことなく所在なげにうろうろしている。客入りの悪いライブハウスみたいな感じで、自分たちも壁を背にしてなんとなく待っていたところ、おもむろに客電が落ちる。緞帳にスライドが映され音楽。コンセプチュアルな音階づくりについて、かー、などと思っていると、突然何十人もがステージから、スロープを駆け下りてきて、踏み台昇降運動とか始める。その中には、さっきまでそのへんで所在なげにしていたスカートにタンクトップの女子とか、サエキけんぞうさんに良く似た痩せた男性とか、agとか混ざっているのであって、これはもしかしたら、所在なげにしている場合ではなく、自分たちもあの中にまじって踏み台昇降運動をしなければならなかったのではないか、チケット代に含まれている運動なのではないかと思う。
でもそうではない。やがて連中は自分の脈をとりながらそのリズムを口にする、突然緞帳が開いたと思えばドカドカうるさいブラスバンドが演奏をはじめ、連中はその客になる、と思ったら、こんどは二手にわかれて「花いちもんめ」のようなことをするなど、フロア全体を使った短いシーンの連続運動が怒濤のごとく行なわれる。
この「花いちもんめ」な運動が自分のツボにストライクだったため、もうそれからはうずうずしっぱなしで、パフォーマーと客の漠然とした境界はあるものの、どのタイミングで中に入ったらいいのかそのサインを待ちっぱなし。少なくとも気持ちだけは待ちっぱなし。入ったところで動けるわけがない。
からだが動くのは楽しい、声が出るのは楽しい、というような直感的で子どもじみたことを文字通り実感した。この体感できる情報量ったらすごい。映画館の椅子に座ってしねしね考えごとをするのも好きだが、やっぱ目の前で何十人が運動しているインパクトにはかなわない。文句なしに楽しい。意味もなく顔の筋肉が緩んでくるのである。
この何十人の中にまぎれこんでビデオをまわしたらさぞ楽しかろうと思ってしまって、めったに書かないアンケート用紙に一言書いてしまった。動く人を撮るには動かなくてもいいのだろうが、動いちゃいたい気分にすっかり。
Posted 09/14/05 | Filed under: 感想
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