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PFF『けものがにげる』上映終了、その他の衝動。


7月19日(木)、渋谷東急でのぴあフィルムフェスティバル『けものがにげる』上映&トークが終了しました。平日の夕方という条件ながら、多くの観客の皆様に観ていただき、ありがとうございました。

喋るのが苦手だということで映画を撮り始めたようなものですが、結局あのような場で喋らないと伝わらないものもあることに因果を感じます。喋れば喋るほど言いたいことがずれていくことを認識しつつ荒木ディレクターの質問に答えておりました。
後出しジャンケンみたいで恐縮なのですが、言い足りなかったことをここに書こうと思います。

『けものがにげる』は自分が映画的に育てられた80年代ハリウッドのファンタジー映画、特に小さなモンスターが登場する映画に多大なオマージュを捧げた作品で、ほっとするようなエンターテインメントを目指しました。決して東京ではない「神奈川な映画」でもあります。心理劇やホラーを想像されていた方には、情報不足で申し訳なかったと思っています。
97年に撮った『シンク』は、劇的なものからどれくらい離れられるかということを試みた作品で、今作とは全くアプローチの方法が異なります。完成するまで自分でも別物をつくっていると思っていたのですが、時間をおいて観ると、根っこは変わっていないように思えます。

自主映画の本流がまだ8mmか16mmのフィルムで、DVカメラが初めて発売されたころに『シンク』を撮って以降、ずっとビデオによる作品制作を行なってきました。フィルムのコストや撮影の技術的な困難さに悩まされる時間があったら、まずドラマを、映画を撮りたいという初期衝動にはビデオが適していました。
しかし当時の(自分が使わざるを得なかった)環境では、TVなどで使われる業務用のビデオ映像や、劇場でかかる35mmフィルム、また8mmなどとは圧倒的な画質の差があり、民生ビデオの映像はそれだけで映画に見えませんでした。
なんとかそれを映画にするために独自の「文体」を得る必要があり、これまで様々な方法で試みてきました。成功したこともあり、そうではないこともありました。
90年代も終わり、自主映画の本流のみならず劇場上映・放送レベルでデジタルビデオが使われるようになり、「ビデオ映像でも映画である」と普通に認識されだしたので、正直なところ、何をもって映画と呼ぶのか見失っていました。
ある程度固まってしまった「文体」で語れることはそう多くないと思えました。

今回の「若手映画作家育成プロジェクト」は、もともと35mmフィルムでの短編制作を目的としたものです(結果的にはビデオ作品のほうが多かったのですが)。ビデオがフィルムにとって変わりそうな昨今、この先もう35mmを触ることもないかも知れないと思い、短い企画書を書いて応募してみました。
どういう話が「フィルム映画」に適しているのだろう?と考えたとき、浮かんだのは「架空の生物」でした。PFFのトークでも話したことは、「兄弟が台所で話しているシチュエーションに、たまたまニュースで見た、逃げ出した動物の話を絡めた」ということですが、架空の生物があたかも実在しているように見えることは、自分にとって映画体験そのものだった、ということを思い出したのです。
「けものと目が合う」こと、その瞬間が映画なのではないか?と考え、そのことを軸に脚本を練りました。

フィルムの現場というのは学生時代に最初の作品『手の話』を撮った時以来ですが、規模は途方もなく大きくなっていて、ビデオでのスピーディな撮影に慣れている自分にとっては戸惑いの連続でしたが、何とか映画にすることができました。
『けものがにげる』は、自分の「映画を撮りたい」といった衝動ではなく、観客としての初期衝動(PFFでは「趣味の世界」と喋った)を優先してつくった作品です。自分が映画のなかで体験したいものの一つを、かなりわかりやすい形で込めたつもりです。
ビデオで(スタンダード・サイズで)慣れた頭を無理矢理フィルムモードにして、オーソドックスな「文体」で試みた初めての映画です。
是非多くの方に観ていただきたいです。

この作品を経たことで、メディアに拘らない映画について考察することができたので、今後メインになると思われるビデオ作品の内容にもフィードバックできると思います。
でももう一本くらい、フィルムで、できれば長編を撮ってみたいとは思うのですが。


ところでPFFのトークにて、結構悩んで着て行った『グレムリン』Tシャツに関してツッコミを受けなかったことがちょっと心残りです。独りサムかった。

[けものがにげる@PFF 上映情報] [作品データ]

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