01 June 2004

タイトルバッカー

以前当日記に登場したエディター(映像の方)のI嬢こと石原(女子)が、フジテレビのドラマ『アットホーム・ダッド』のタイトルバックを手掛けているという本人からの情報。早速観た。クレジット出てるので名前出してみた。ちなみに自分の組んでるスタッフに石原という名字は二人いる。ほんとにちなみにな話だが。

自分と石原(女子)は、98年ごろ某ワークショップの講師とスタッフという間柄で知り合い、短編『OPAAI(仮。未完)』の編集を依頼して以来、自分が不得手とするコンピューターな編集とかオサレな編集とかぐりぐり動く編集とかをやってもらうためにしょっちゅう組んでいる。いま書いて気付いたがほとんどではないか。自分で映画を撮るカントクでもあり、エディターというかモーショングラフィッカー? よくわかっていないのが何だが、そうそう、『新しい人』でも『晴れた家』でも文字アニメなんかを手伝ってもらっている。
で、件のタイトルバック。フィルムのリードやらパーフォレーションやらを取り入れた小洒落たものだった。テレビで仕事するということはこういう安心感を与えなければならないのだなあと感心し、自分のような不安定感(非・バランス)をもつものしかつくれない輩にはこういう仕事はまず来ないわけだと思う。
タイトルバックの重要さっていうのはテレビドラマに限らず映画でも言わずもがな、冒頭のハッタリとして有効だし本編の空気やら方向性をずばっと決めたりするもので手を抜けない。はず。
若人にはカイル・クーパー氏、古くはソウル・バス氏などがスターなタイトルバックアーティストかと思われ、わざわざ外注して凝るのが向こうのやり方。日本映画ではそういえば凝ったタイトルバックはあまり見かけない。テロップ一枚出して終わり、的なものがほとんどか。お金がないというよりやっぱ映画の質の違いなのだろうと思う。すぱっとお話に入ろうよ、意匠より中身だよ、というような。
とはいえ意匠は超大事なのであり、意匠こそ全てとも言えなくもなく、自分などは外注してまで凝りたい派なのだが、やはり作品の質がそれを拒否。凝って尺を使ってまで魅せる必要がないので、「凝りたい」は欲望どまり。せめて字組みとかロゴデザインとか動きくらいはちゃんとしたいなといつも石原(女子)に依頼してやってもらうわけで。
映画を撮りたいと思うのに必要なモチベーションは「物語」とか「人物」から入るのが最良とされているが、「タイトルバック凝りたいから」というものもあってもいいと思う。でも他言しないほうがいいとも思うけど。あと内容もきちんとしてるのが最低条件。

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