06 October 2004

自分に似たひとたち

読んだ。
地下鉄の風に吹かれて
南 Q太
祥伝社 2004-09-29


by G-Tools


劇作者が劇中に自らと同職な劇作者を登場させるのは諸刃の刃であり、つまり、特殊な職業の内幕が面白可笑しく晒されさらにメタ劇(なんだそりゃ)に化ける可能性を秘めている反面、安易な自己言及に見られがちで、じっさい安易なものも多数あるので慎重に腫れ物に触るようにやらないといけないと自分などは思うのだけど。
まんが家が作中にまんが家を登場させることはけっこうあって、主にそれは自らと同じ名前を持つ自らなのだけど、それは自己言及っていうより自らをネタにしてズッコケの一つもさせて、文章でいうと「(笑)」みたいなセルフ突っ込みで。
そうではなく、全然別人だけど同職の人、ともすれば「もしかしてあなたのことなのでは?」というくらい近似値な人物を登場させて描くという「私小説っぽい」まんがを描く人もいる。これはデンジャー(危険)。そもそも仮想・私は描くに足るのか、読むに足るのかという確信とバランス感覚がないととってもまずいことになってしまうように思える。描き方に「美化」という概念が垣間見えた瞬間、読者全員が引くはずで。近しいだけに「何か言い換えてるでしょ?」「隠してるでしょ?」「晒してるでしょ?」と思われても仕方ない危険な橋なのでは?
感覚的なことも技術も必要だけどそれ以上にタフネスとか必要なのではないかと自分は思う。読んでて感動するところも「うめーなー」とかじゃなくてタフなとこだからね。
映画監督が出てくる映画では、
セシル・B ザ・シネマ・ウォーズ
メラニー・グリフィス
ビデオメーカー 2001-10-05


by G-Tools

自分はコレにものすごい感動したんだけどそれは「タフだったから」と無理矢理こじつけてみる。いやタフとかそういう問題な話じゃないけど。どうも映画監督は「美化度」が高いように思える中でジョン・ウォーターズは全然違うベクトルに美化してるから。「8mmを回して……」なんて耽美化じゃなく血がたぎる方向に。
話がずれたけど南Q太さんのまんがは、ほんとにお話作りの技術とかものすごいと思うのだけど透けてくるタフネスだとか優しさとか残酷さとか、そういう類いのものってやっぱ人格なのであり、真似しようと思っても無理なので自分はいつも嫉妬するのです。

さよならみどりちゃん
南 Q太
祥伝社 1997-07


by G-Tools


古厩監督が映画化中とのこと。読まなければ…。

Comments

No comments yet

Add Comment

このアイテムは閲覧専用です。コメントの投稿、投票はできません。