シンク ▲TOP PAGE
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(敬称略・順不同)

「シンク」と話したい
「シンク」は、ビデオテープの原稿用紙に書かれた映像のエッセイである。
村松監督の流暢な文章が、スクリーンから溢れるようである。セリフ以上に、これほど、観客に語りかける映画があっただろうか?
それでいて、すべてを言い切らず、余白を作っている、村松監督の手腕に感心せざるを得ない。映画と観客が会話のできる作品なのだ。
僕は「シンク」が大好きである。

秋元 康(作詞家)

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 フィルムの過剰な緊張感とも、ダラ撮りビデオのカジュアルさとも違う、ジャストな手応えを感じる村松正浩のビデオ・カメラ・アティチュード。なぜこうも気持ちよく健全にビデオ・カメラを使いこなせる人が出て来なかったんだろう?と目からウロコが落ちるほど、新しくしっかりとした映像文体を彼は持っている。そして、この自然なビデオ映像文体があってこそ、同じく村松が書く脚本の世界と、村松の友人達である役者3人の演技が生きてくる。
 男である事にも女である事にも居心地の悪さがつきまとってしまう、「相対化戦争」の灰を浴びて育った1972年生まれの村松監督、そしてその世代の役者♂2人。その時代をくぐり抜け、男の、女の、あるべくしてある意味を新たに手にしつつある5才下の松崎ナオ。そんな静かで微妙でつかまえにくい変化の季節を、この脚本は捉えている。そして役者達は、その季節感そのものを体現している。

山崎 洋一郎(ロッキング・オン・ジャパン編集長)

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「シンク」の主役三人に、それぞれ非常によく似た友人がいる。
彼らも「シンク」のように「テレパシーのようなもの」を使って 会話しているのかもしれない。
そんな事をふと、考えて 自分ひとり、とり残された気がして、淋しくて、くやしかった。
誰にでもある 心の底の「不安」が優しいメロディーとなって流れているような映画だった。

石堂 夏央(女優)

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「タイタニック」よりも、面白かった。
が、楽しめなかった。見ていて、あまりにも自分とダブるところが多過ぎたので。家に帰ってから、つらくてもー。
で、ちょっとだけそんな自分の現状を話しますとね。
このごろインターネット始めたり、けーたい買ったりしてから、人となりをくわしく知らない知人が増えましたよ。
で、そんな人たちと会話をすることが日課になった。
今では人となりを知っている知人よりも、そういう方々の方が必要に思えたりするときもあるね。
この感覚を、うまく映像化してくれてるなーと思いました。
が、楽しめなかったので、「GODZILLA」を見て機嫌直します。

土佐 正道(明和電機)

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すこし淋しくて、すこし楽しくて、とてもせつない。だけど乾いてる。
都会とか田舎とか。「ああ こういう感じ」
きっと私は、この映画をもう1度、くり返し観てしまう。
「この感じ」を味わいたくて。

安野 モヨコ(漫画家)

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 終わりなき日常をまったり生きるのだとしても、それが脳死と変わらないなら、生きている理由はない。たとえ意味(物語)がなくても強度(体感)さえあれば人は生きられる。でも刺激に頼ればいつかは飽きる。肉体を酷使する素質はない。
 そう、オープンマインドでフレンドリーになれさえすれば…。そうすれば、誰かと何かがシンクロするかも。でも、何を手がかりに心の声を通わせられる?何をきっかけにシンクロできる?
 「シンク」は反実仮想(もし〜があったら…)の映画だ。ただしドラマチックな絵空事でなく、ほんのちょっとだけの。「もしテレパシーみたいに心の声が聞こえれば…」。でも「ほんのちょっと」のありえなさが、かえって今の僕たちの絶望的な距離を印象づける。
 でもそれは本当に絶望的な距離なのか。テレパシーで聞こえるようになるずっと前から本当は声が聞こえていたはずではないか…。それをどんなふうに思うかは、見る僕たちの自由である。

宮台真司(社会学者)

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これからも作品を撮り続けて下さい。
その作品達に出会えるのを楽しみにしています。
では、また。

永瀬 正敏(俳優)

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まったりとした感じといい、自然な会話のやりとりといい、リアルでいて不思議な新感覚ムービーでした。
いつか私も、村松監督ワールドの一員に加えさせて下さいね。

佐伯 日菜子(女優)
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