17 November 2004

ゲームの予告編ヤバい

本屋に行ったら「ファミ通」がなんか厚かったので久しぶりに買ってみた。DVDが付いていた。なんか最近は雑誌に普通にDVDとか付いてるので、世の中の変貌とか進化とか流通とかに思いを馳せつつ、でもおまけのDVDはあんまり見ない。だいたい処分に困る。って、捨てることを前提になっちゃっててすっかり映像の価値も下がるってもんだよなあ。作り手は取っ払いだなあ。などと厭世的になってくる前に観てみた。新作ゲームの予告映像がたくさん入っているようだった。
数分後、ぽかんと口を開け忘我の境地にいる自分。ヤバいですよ最近のゲーム予告映像。ハンパなく気合い入ってますよ。クオリティ高すぎ。こんなカッコいい映像をつくる人はいまゲーム業界に流れているのか!ってこの感想は主に『メタルギアソリッド3』のやつに対してです。なんかもうどうにでもしてくれって感じです。動く文字とかイカすなあと思ったらカイル・クーパーでやんの。巨匠を引っ張り出せるだけの映像だった。思わず邦画の予告編と比べてしまったりして軽く凹んだ。あと収録されてた映像では『KILLER 7』ていうのが良かった。クール。
でもカイル・クーパーさんに頭を下げれば、志ひとつで予算1500万とかで撮ってる日本映画のタイトルバックをつくってくれるかというのは甚だ疑問であり、まあ要するにバジェーーーット。あと売れる算段。人材と予算をおごれる企画だということだ。いいなあ。
最近のハイバジェットなゲームの多くは「映画的」な演出が多用されているのだけど、「ムービー」と呼ばれるその動画部分は皮肉にも既にそこらの映画を超えている。まあ多用しすぎるとウザがられてスキップされる運命にあるのだけど。
もしこのようなものすげー人材が本気で映画に流れ込んできて、筆頭鉄砲玉稼ぎ頭になって世界中でぶいぶいいわせることになればいいと思うのだけど。映画の教科書を踏襲しすぎるあまりツークッションぐらい置いたハリウッド映画みたく仕上がってしまった『FAINAL FANTASY』みたくなんないことを願うのだけど。
» read more

15 November 2004

鳩は不在だった


今日行ってきたのは国立西洋美術館マティス展であってピカソ展ではないです。なのになぜこの絵を掲げているかといえば同行した同居人と往路賭けをしたからで、それは『貧しき食事』というこの絵に描かれている人物は何人だったか、というもので。行く場所は国立で西洋で美術館なのだから、マティスの特集でもピカソの画集くらいあるだろうと。そこで正解が出るはずだと。
自分は確か1人だと記憶していて同居人は2人としていた。はい、自分の負け。でも自分の罰ゲームが確定したのは自宅に帰ってネット検索してからで、美術館にはこの版画の載っている画集はなかった。

自分はこれでも一応美大出で、美術史の教科書とか頭に入れたことがあるので、上野のあんなでっかい美術館に行くのは教科書に載ってる絵の実物を確認しに行く事とほぼ同義。実際今日のマティスっていうかマチスと呼んでいたのだけど彼の作品は何枚か教科書で観ていて、その上自宅にはなぜか小さいポスターがあるのです。切り絵シリーズのやつ。だからそれらの本物にギリギリまで目を近付けて、どんな紙使っててどんな風に切ってて(道具は何使ってて)どの色の上にどの色を貼ってあるかなどなど、こころゆくまで確認してきたんだけど。そう確認。感動したん?と訊かれればそれほどでもなかったと答える。大好きな『ダンス』って絵がなかったということもあるけど。
こんなにマチスの絵を(しかも本物を)凝視したのは初めてなんだけど、自分には退屈だった。画家が絵を完成させてゆく過程が今回の展覧会では提示されていたんだけど、普通の人物画とか、きちんとデッサンした上で崩してゆく。一度描いたものを塗りつぶしたり修正したりして、最終的にあのゆるいタッチの「未完成」と言われても気付かないような絵にもってゆくらしいのだけど。削ぎ落としていく、という思考の繰り返しでついに晩年は一筆書きとか切り絵に行き着くのを知るのは確かに感動的。作家の一生を斜め読みできるという至福。
でも退屈なのはなんでかというと、あのう、絵の見方が昔とすっかり変わったのだと思った。自分が美大予備校に通っていた頃、ステキな師匠によって絵の見方を教わり、構図とか筆致とかマチエールとかからの細部から読む方法を学び、その技量やら発明やらに感動して「すげえ」っていうのが昔。だからセザンヌとか大スター。キュビズムの考えに唸り。その気になれば小一時間、一枚の絵を見てられるようになったころ、地元の美術館にやってきたのがピカソの『貧しき食事』。
自分の後輩にあたる石井君といっしょになってずーっと見ていた記憶がある。銅版画なので全てが引っ掻き傷で描かれており、どの線がどういう効果で引かれているかとか追い出すとホントすーっと見てられる。穴の空く程見た。石井君は絵画科だったので自分より数倍よく見ていたけど。
で、うーん勉強になった、と美術館を後にしてそれっきり忘れてしまったみたいだ。何が描かれているか。登場人物が1人か2人か、なんていう簡単なことは見てなかったのだ。
なんとか大学にもぐりこんだことで逆に絵を見なくなった(真理)ので、こういう印象は忘れていたのだけど今日わかった。なんか絵を引いて見れるように自分は変わったようだ。気になるのは筆致ではなく何を描いたか、どういう態度で対象に向かっているか。マチスは絵の構図とフォルムにしか興味がないように見えて、そのためにモチーフを極端に対象化しているように思え、そんな求道者的な姿勢よりも、もうちょいなまっぽい感情が見えたほうが面白いと思う今の自分には退屈だったということか。

常設展示室にピカソの落書きみたいな雑な(!)絵があったのだけど、それはもうめちゃくちゃなパワーに溢れており、こう、明らかにその姿勢じゃ局部は見えないですよという裸婦らしき絵なのに局部が描かれているわけで。こういうのが作家のなまっぽい感情か、と訊かれたら違うんだけど。たぶん。でも自分はこういうのが好き。可愛いじゃないですか。

写真とか映画とかはじめたせいでこう変化したわけじゃないと思う。まあ多分老けたんでしょう。細かい事はどうでもよくなったのでしょう。それもひとつの、年を重ねるということなのだけど悪くないと思った。冒頭の話に戻ると自分は賭けに負けたわけで、これから一週間の罰ゲーム期間に突入するわけで心底鬱なのだけど。

ついでに告白すると予備校時代本当に好きだったのはシュールレアルズムでした。ありえない感じに感動してました。あと宗教画とヴァニタス画も好き。描かれていること全てに象徴的な意味がありそこを読んでいく感じが。細部を見るといろいろ遊んでたりするのです。

13 November 2004

夢でみた名前を何度か口にして

ネバーエンディング・ストーリー
ウォルフガング・ペーターゼン
ワーナー・ホーム・ビデオ
2004-06-18


by G-Tools

幼少時に感動した映画では他に『グーニーズ』などもあるけど、いい加減いい年になってから観たらそれほど盛り上がれなかった。粗ばかり目立って乗れないのだ。すごい久しぶりに観る『ネバーエンディング・ストーリー』はどうだったかと云えば、やっぱりずさんさは見えまくるのだし、冷静にカットの過不足なんかも考えたりなんかしちゃったりなんかして、それでも、突き抜けてこころに迫るものがある。タミー・ストロナッハa.k.a.幼ごころの君がノア・ハザウェイa.k.a.アトレーユに向かって言う。「あなたは人間の子どもを連れてきたのです」〜幼ごころの君カメラ目線で名前を言ってと訴えるあたりが自分の泣きのツボ。『グーニーズ』好きなヒトと比べて無理矢理体育会系/文系と境界を引くこともできそうだが、なんで今さらこの映画にころっと騙されるかってやっぱ自分がファンタジー野郎だからでしょう。ファンタジーガイだからでしょう。
「どうせ裏で人が操作してるんでしょ?」というクリーチャーたちは「どうせCGでしょ?」と言われる今の時代より数段幸せに違いない。『E.T.』の時も書いたが、架空の生物は動きがぎくしゃくしてないとダメなんだってば。リアルにすればするほど違和感が生じるんだから。あくまでオレはだけど。オレの中では古びていない映像。
エンドクレジットの短さに驚いた。ていうか最近のが長すぎるんだな。

# 脅威のクローズアップ力を誇る女優、モンデンキントa.k.a.タミー・ストロナッハで検索したらこんな記述が

02 November 2004

写真の雑誌


Tokyo graffiti #2
もともと他人の撮った写真が好きで、しかも適当に撮られたものほど好き。ハプニング的にシャッターが切られたものとか、撮った本人もよく憶えてないようなものとか。風景の写真とかも悪くないけど、やっぱり人物の写真。ヒトは面白い。どんな表情をしているのか穴のあくほど見つめて、カメラマンと被写体の関係を無理矢理読み解いたり。
人物写真を撮る能力のほとんどは、被写体との関係づくりに依存するのではないかと思う。仲良しでも威圧でもエロでもとにかく関係性は写りこむ。自分もいい人物写真が撮りたいと思うのだけどなかなかうまくいかない。ムービーカメラを構えてよーいスタート、っていうのにも少なからず関係性は写るものだと思うが、どちらかというとカメラマン対被写体という関係ではなく、被写体同士の関係を撮るものだと思う。カメラマンが透明人間になるほど良い。面白いのだけど、写真とは違う。
「アウフォト」という雑誌がすごく好きだったのは「関係」が露呈しているような写真ばかりを巧みな編集によって見せていたからで、廃刊になってホント残念なのだけど、よく考えるとずっと続けられるような安定したコンテンツではなかったように思える。毎月オモシロ写真が一定量送られてくるはずがなく、波があったはず。
「Tokyo graffiti」はとにかく人物写真だらけ、ということでポートレイト好きな自分はそれだけで手に取ることができるのだけど、「2004年の家族写真」と題された企画以外の大半はいわゆる街角スナップをカテゴライズによって編集されているもので、えーと、なんというか楽しさに欠ける。確かに安定感のある内容だとは思うけど、自分の大好きな「関係性」が希薄であり、ただの写真付きアンケート雑誌になってしまうのはあまりにもったいないと思う。写真家の名前を出してもっと濃ゆいカラーが出てくれば毎号楽しみにして買いに行っちゃうと思うのだけど。

21 October 2004

初版が91年?もうそんなになる?

いたいけな瞳 1 (1)
吉野 朔実
集英社 1991-03


by G-Tools


3巻くらいまで持ってたんだけど何故か紛失。文庫で買い直しはじめた。名作揃いの短編集。「橡」(つるばみ)という漢字をこのまんがで覚え、その後一回も使えていなかった。今使えてよかった。